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精神の後遺障害(うつ病、PTSDなど)とは
1.非器質性精神障害と後遺障害
交通事故の被害により経験した恐怖体験が引き金となり、いわゆるPTSDを発症したり、また、交通事故による身体的な障害、たとえば頸椎捻挫(むち打ち症)などの障害による首の慢性的な痛みなどに悩まされ、うつ病を発症することがあります。このような精神的障害も後遺障害として認定されることがあります。
このような精神的な障害は「非器質性精神障害」と呼ばれています。非器質性の精神障害とは、脳組織の器質的損傷を伴わない、つまり脳組織に物理的な損傷がない精神障害として、高次脳機能障害や身体性機能障害と区別されます。一方で、器質性の障害とは、交通事故による外部からの物理的な力が加わった受傷により、身体組織に異常な事態が発生するものを指します。
非器質性精神障害にあたる病名としては、うつ病やPTSDのほか、外傷性神経症、不安神経症、強迫神経症、恐怖症、心気神経症、神経性無食症などの神経症(ノイローゼ)や統合失調症など、さまざまです。
2.非器質性精神障害と後遺障害の認定基準
非器質性精神障害が後遺障害として認定されるには、厚生労働省が通達した労災の障害等級認定基準(※)に該当する必要があります。交通事故による後遺障害の認定実務上、この基準が使用されているからです。
※平成15年8月8日付厚生労働省労働基準局通達『神経系統の機能又は精神の障害に関する障害等級認定基準について』
具体的には、以下(ア)(イ)の両方を満たすことが必要です。
(ア)の精神症状のうち、ひとつ以上が認められること
(イ)の能力に関する判断項目のうち、ひとつ以上の能力について障害(能力の欠如や低下)が認められること
(ア)精神症状 | (イ)能力に関する判断項目 |
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(ア)精神症状
(1)抑うつ状態
持続するうつ気分(悲しい、寂しい、憂うつである、希望がない、絶望的であるなど)、何をするにもおっくうになる、それまで楽しかったことに対して楽しいという感情がなくなる、気が進まないなどの状態とされています。
(2)不安の状態
全般的不安や恐怖、心気症、強迫など強い不安が続き、強い苦悩を示す状態とされています。
(3)意欲低下の状態
すべてのことに対して関心が湧かず、自発性が乏しくなる、自ら積極的に行動せず、行動を起こしても長続きしない。口数も少なくなり、日常生活上の身の回りのことにも無精となる状態とされています。
(4)慢性化した幻覚・妄想性の状態
自分に対する噂や悪口あるいは命令が聞こえるなど、実際には存在しないものを知覚体験すること(幻覚)、自分が他者から害を加えられている、食べ物や薬に毒が入っている、自分は特別な能力を持っているなど内容が間違っており、確信が異常に強く、訂正不可能であり、その人個人だけ限定された意味付け(妄想)などの幻覚、妄想を持続的に示す状態とされています。
(5)記憶または知的能力の障害
非器質性の記憶障害としては、解離性(心因性)健忘がある。自分が誰であり、どんな生活史を持っているかをすっかり忘れてしまう全生活史健忘や生活史の中の一定の時期や出来事のことを思い出せない状態とされています。
(6)その他の障害(衝動性の障害、不定愁訴など)
その他の障害には、上記(1)~(5)に分類できない症状、多動(落ち着きのなさ)、衝動行動、徘徊、身体的な自覚症状や不定愁訴などがあげられます。
(イ)能力に関する判断項目
(1)身辺日常生活
入浴をすることや更衣をすることなど清潔保持を適切にすることができるか、規則的に十分な食事をすることができるかについて判定されます。なお、食事、入浴、更衣以外の動作については、特筆すべき事項がある場合には加味しての判定がなされます。
(2)仕事・生活に積極性・関心を持つこと
仕事の内容、職場での生活や働くことそのもの、世の中の出来事、テレビ、娯楽などの日常生活に対する意欲や関心があるか否かについての判定がなされます。
(3)通勤・勤務時間の遵守
規則的な通勤や出勤時間など、約束時間の遵守が可能かどうかについて判定がなされます。
(4)普通に作業を持続すること
就業規則に則った就労が可能かどうか、普通の集中力・持続力をもって業務を遂行できるかどうかについて判定がなされます。
(5)他人との意思伝達
職場において上司・同僚などに対して発言を自主的にできるかなど、他人とのコミュニケーションが適切にできるかの判定がなされます。
(6)対人関係・協調性
職場において上司・同僚と円滑な共同作業、社会的行動ができるかどうかなどについて判定がなされます。
(7)身辺の安全保持、危機の回避
職場における危険などから適切に身を守れるかどうかの判定がなされます。
(8)困難・失敗への対応
職場において新たな業務上のストレスを受けたとき、ひどく緊張したり、混乱することなく対処できるかなど、どの程度適切に対応できるかの判定がなされます。
3.非器質性精神障害と後遺障害の等級
上記の(ア)精神症状、(イ)能力項目に関する判断項目に照らして、非器質的精神障害が認められる場合、その障害の程度に応じて後遺障害の等級が判断されることになります。
そして、非器質性精神障害の後遺障害等級は、その精神障害の程度に応じて、第9級、第12級、第14級の3段階に区分されています。
該当する等級(自賠責施行令 別表第二) | 労災における認定基準 |
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第9級10号
通常の労務に服することはできるが、非器質性精神障害のため、就労可能な職種が相当な程度に制限されるもの |
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⇒具体的には
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第12級相当 | 通常の労務に服することはできるが、非器質性精神障害のため、多少の障害を残すもの |
⇒具体的には
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第14級相当 | 通常の労務に服することはできるが、非器質性精神障害のため、軽微な障害を残すもの |
⇒具体的には (イ)のひとつ以上について、ときに助言・援助が必要と判断される障害を残しているもの |
4.非器質性精神障害と後遺障害の認定ポイント
非器質性精神障害が後遺障害として認定されるための基準は上記のとおりとなっています。しかし、この認定基準に該当する場合でも、後遺障害として認定を受けるためには、いくつかのハードルがあります。
(1)交通事故との因果関係
非器質性精神障害の場合は、交通事故が原因で発症したといえるのか、つまり因果関係の認定が難しいという問題があります。物理的な外傷や衝撃を伴う器質的な損傷の場合は、医学的知見をもって障害の発生を認定することができます。しかし、非器質性の精神障害では、人間の精神(こころ)の内面を客観的かつ明確に把握することは難しいものがあります。また、交通事故だけに限らず、家庭環境や職場環境の影響によっても発症する可能性もあります。
因果関係が認定されるためには、発症時期や精神障害の症状、ほかの要因の有無などの総合的に判断されることになります。仮に、因果関係が認められたとしても、ほかの要因の影響や本人の性格などを考慮して、ある程度、賠償金が減額されてしまうこともあります(素因減額)。そのため、交通事故による発症であることを説明しつつ、ほかに有力な発症原因が存在しないことも示すことが重要なポイントになります。
(2)医師による治療
非器質性精神障害が後遺障害として認定されるためには、精神障害が残存していることを医学的に証明していく必要があります。非器質性精神障害の場合、CTやMRIなどの画像により、脳や神経組織の損傷個所の異常が確認できるわけではありません。被害者の方が、「うつ症状がある」、「記憶障害がある」と訴えても、それだけを根拠に後遺障害が認定されるわけではありません。
精神障害が発症した場合は、速やかに精神科医などの専門医による適切な治療を受けることが重要なポイントになります。そして、専門医による適切な治療を受けてもなお症状が改善しない場合に、はじめて後遺障害として認められる余地があるのです。精神障害の存在が認められても、発症後に適切な治療を受けてなかった場合、適切な治療を受けていれば精神障害は回復していたとして、後遺障害と認められない可能性もあります。
(3)症状固定の判断時期
さらに、非器質性精神障害における後遺障害認定の問題点としては、非器質性精神障害は、ある程度症状が続いても、その後に治癒する可能性があり、症状固定の判断が難しいという点があります。治療により回復の余地が認められるのであれば、後遺障害とは認められないからです。
精神科などの専門医による診療を受け、治療と投薬がなされ、十分な治療期間があったにもかかわらず、具体的な残存症状や能力の低下が見られ、それらに対する回復の見込みに関する判断(症状固定)が適切に行われていることも重要なポイントになります。
このように、非器質性精神障害が後遺障害として認定されるためには、いくつかのハードルがあるのです。これらに加えて、発症した精神障害による損害の程度などを保険会社に対して主張・立証していくことは容易ではありません。精神症状が発症した場合には、早めに精神科医の診察を受けるとともに、交通事故による後遺障害に強い弁護士に相談することをおすすめします。
5.PTSDについて
交通事故による強烈な恐怖体験により、心に大きな傷を負い、フラッシュバック症状や事故に関連することを回避しようとするなどの症状が現れることがあります。このような症状を、医学的にPTSD(Post Traumatic Stress Disorderの略)と呼んでいます。
PTSDも、非器質性精神障害のひとつであり、日常生活に支障をきたす後遺障害として認定される余地がありますが、現実に後遺障害として認定されるためには高いハードルがあります。
その認定基準については、WHO(世界保健機関)が定めた診断基準である「ICD-10」や、APA(米国精神医学会)の「DSM-Ⅳ」の診断基準などがありますが、これらの基準を参考にして、裁判などでPTSDが認められるためには、次のような症状が必要とされています。
(1)重傷や同乗者の死など、強烈な恐怖体験による外傷的出来事の存在
(2)意思に反した再体験症状(フラッシュバック)の反復
(3)事故場所や場面の無意識的・持続的な回避症状
(4)持続的な覚醒亢進症状(睡眠障害、集中力低下など)
しかし、自賠責調査事務所などの後遺障害の認定機関は、(1)当該交通事故の被害が、強烈な外傷体験にあたるか否かという点を厳しく判断します。また、(2)再体験症状、つまりトラウマとなっている体験を思い出したくないのに繰り返し再体験する症状や、(3)回避症状、外傷体験を思い出す刺激から回避しようという症状、(4)覚醒亢進症状、常に危険を感じ、これに身構える緊張状態が続き、睡眠障害や集中力低下などの症状が認められることが必要であり、単にPTSDの診断書があるだけでは、なかなか認定されません。
さらに、PTSDが非器質的精神障害である以上、上述した4.(1)~(3)で述べた因果関係や素因減額といった問題点もあります。そのため、実際にPTSDが後遺障害として認められ、それに応じた適切な賠償がなされるためには高いハードルがあるといえます。
もっとも、実際の裁判では、PTSDに罹患していると認定されなくても、事故の態様や被害の程度、被害者の方に生じている精神症状などを踏まえて、神経症などの後遺障害と同様に、第9級、第12級、第14級の後遺障害が認定される余地があります。そのため、ほかの非器質性精神障害の場合と同じように、精神科医の治療を受けたこと、それによって回復しない精神症状が認められること、交通事故により発症したといえること(因果関係)、発症した精神障害による損害の程度などを、立証していくことが必要となります。
PTSDが発症したと思われる場合には、早めに精神科医の診察を受けるとともに、交通事故による後遺障害に詳しい弁護士に相談することをおすすめします。