1.後遺症による逸失利益とは
後遺症のある被害者の方は、たとえば仕事中ずっと首が痛くて仕事に集中できなかったり、ひどいときには仕事に行くことすらできなかったりすることがあります。そうなると、そのような後遺症がなければ得られたはずの収入が失われてしまいます。このような、後遺症があるために失った、被害者の方が将来にわたって得られるはずであった利益のことを「後遺症による逸失利益」といいます。
後遺症や死亡による逸失利益の算定では、後遺症によって現に発生した収入減少額をもって逸失利益(損害)とする見解(差額説)と、後遺症によって喪失した労働能力をもって逸失利益(損害)とする見解(労働能力喪失説)があります。通常は、いずれの立場でも労働能力喪失表を参考に逸失利益の算定を行っておりますので、上記の見解の相違が逸失利益の算定に大きな影響を与えることはありませんが、事故前後で収入額に変化がなかった場合には、労働能力喪失説によると損害が認められますが、差額説によると損害が認められないことになるという違いがあります。
後遺症による逸失利益は、実務上、基礎収入に、後遺症により失われた労働能力の割合(これを「労働能力喪失率」といいます)と、労働能力喪失期間に対応した中間利息控除係数というものを掛けて計算します。
後遺症による逸失利益
=【基礎収入】×【労働能力喪失率】×【中間利息控除係数】
また後遺症により勤務先を退職した場合、現実にもらった退職金と、その後勤務を継続した場合にもらえたはずの退職金との差額も逸失利益となり得ますが、裁判例では、勤務先における退職金規程の存在や、定年まで勤務を継続した相当の蓋然性を要求しています。
それでは、この基礎収入、労働能力喪失率、中間利息控除係数というのは、どのように求めればよいのでしょうか。順番に説明していきます。
2.基礎収入
ア.給与所得者
給与所得者の基礎収入は、原則として事故前の現実の収入額を基礎に計算します。
しかし、この原則を貫いた場合、年収の低い若年労働者の逸失利益が不当に低く計算されるおそれがあります。それだけでなく、全年齢平均賃金を基礎とする学生の逸失利益のほうが高くなってしまうという不均衡が生ずる場合もあります。
この点を具体的に説明しましょう。
たとえば、月収18万円、ボーナスが夏と冬でそれぞれ月収の2ヶ月分という22歳のサラリーマン男性Aさんであれば、基礎収入は、18万円×(12ヶ月【基本給】+2ヶ月【夏ボーナス】+2ヶ月【冬ボーナス】)=288万円ということになります。
しかしながら、先ほど説明した逸失利益を「原則」のほうで計算すると、将来得られたはずの収入も、今の「年収288万円」を基礎として計算されることになります。このような計算だと、Aさんがまだ若く、これから努力によって昇給していく可能性はまったく考慮されません。しかも、たとえば2008年の全年齢平均賃金は550万3900円となっていますから、この金額よりもずっと低い288万円を基礎にされてしまうと、たまたま仕事をやっていたというだけで、仕事をしていない学生より逸失利益がずいぶん低くなってしまい、不合理といえます。
そこで、事故前の実収入額が全年齢平均賃金よりも低額で、事故時概ね30歳未満の若年労働者については、生涯を通じて全年齢平均賃金程度の収入を得られる可能性があれば、全年齢平均賃金を基礎収入として計算するというのが裁判実務で有力な考え方となっています。
裁判実務の考え方の詳細については、平成11年11月22日付で東京地裁民事第27部総括判事 井上繁規裁判官、大阪地裁第15民事部総括判事 中路義彦裁判官、名古屋地裁民事第3部総括判事 北澤章功裁判官が『判例タイムズ』1014号62頁以下に発表した「交通事故による逸失利益の算定方式についての共同提言」(以下「共同提言」といいます)において、具体例を挙げて示されています。本章において、「裁判実務で有力な考え方」というときは、以後「共同提言」を指すこととします。
先ほどのAさんの例でいえば、Aさんに将来550万3900円程度の年収を得る可能性があれば、全年齢平均賃金550万3900円を基礎収入として逸失利益を計算することになります。
原則:事故前の現実の収入額
例外:全年齢平均賃金(将来その程度の収入を得られる蓋然性がある場合)
なお、会社役員の場合は、会社から受け取っていた報酬のうち、利益配当の実質をもつ部分を除いた、労務提供の対価部分のみを基礎に基礎収入が算出される例が多数です。
イ.事業所得者
事業所得者の場合、原則として前年度の確定申告額に基づく収入額から固定経費以外の経費を差し引いた金額を基礎収入とします。
なお、事業所得者は、申告所得額を現実の収入額とみて、基礎収入が算出されますが、現実の収入額が申告所得額よりも高いことを証明すれば、現実の収入額が基礎収入として認められることがあります。
たとえば、さいたま地裁平成19年11月30日判決は、平成14年分の確定申告書では事業による収入は548万7569円と記載されていますが、平成14年7月5日から平成15年6月5日までの間に、亡くなった被害者の方の名義で、取引先宛に発行された領収証が12通あり、その合計額は557万9000円になるという事案でした。この事案で、裁判所は、(1)取引先の総勘定元帳の記載に不自然な点はないこと、(2)そこに計上されている日付に、ほぼ同額の金額が亡くなった被害者の方宛に振込で支払われていること、(3)領収証に記載された金額の合計額は確定申告における収入をわずかに上回る金額であることを理由に、557万9000円を現実の収入として認めたのです。
事業所得者が家族従事者を使用している場合には、休業損害における基礎収入算定の場合と同様に、所得額に対する事業所得者の寄与分割合によって、基礎収入が算出されます。
ウ.家事従事者
原則として全年齢平均賃金を基礎収入とします。パート収入がある兼業主婦であれば、実際の収入額と全年齢平均賃金のいずれか高いほうを基礎収入として休業損害を計算するのが一般的です。
エ.学生
原則として全年齢平均賃金を基礎収入とします。被害者の方が大学進学前であっても、諸般の事情から大学進学が見込まれる場合には、大卒の賃金センサスによる基礎収入の算定が認められる場合があります。
オ.失業者
被害者の方に労働能力と労働意欲があり、就労の可能性がある場合には、原則として失業前の収入を参考に基礎収入を計算します。失業前の収入額が賃金センサスの平均賃金額を下回っている場合には、将来平均賃金程度の収入を得られる蓋然性があれば平均賃金額が基礎収入となります。
カ.高齢者
就労の蓋然性が認められる場合には、賃金センサス年齢別平均の賃金額により基礎収入を算定します。
3.労働能力喪失率
労働能力喪失率とは、後遺症によって失われる労働能力を数値化して表現したものです。実務では、労働能力喪失率表という、後遺障害の等級に応じた労働能力の喪失率を定めた表を参考に、被害者の方の後遺症の程度、性別、年齢、職業その他諸般の事情を考慮して、労働能力喪失率を算定しています。
したがって、考慮される事情いかんによっては、労働能力喪失表に定められた喪失率を下回る労働能力喪失率が認定されることもありますが、比較的軽微な後遺症以外では、労働能力喪失率表の喪失率に従って労働能力喪失率を認定する例が一般的です。
- (労働省労働基準局長通牒(昭和32年7月2日基発第551号)別表労働能力喪失率表から引用。)
4.労働能力喪失期間
ア.労働能力喪失期間とは
後遺症があると、首の痛み、しびれがとれなくて仕事が事故前の8割程度しかできないなどの影響が何年も残ることがあります。場合によっては、脚を片方失ってしまったというようなこともあり、そのような被害者の方は一生影響を受け続けることになるのです。このように、後遺症によって労働能力が失われてしまう期間のことを、労働能力喪失期間といいます。
労働能力喪失期間は、原則として症状固定日から67歳までの期間とされます。被害者の方が未就労者である場合は、労働能力喪失期間の始期は症状固定日ではなく、18歳または22歳(大学卒業を前提とする場合)となります。なお、労働能力喪失期間は、被害者の方の職業、能力、後遺症の程度、機能回復の見込み等の状況により、上記の期間よりも短い期間に制限される場合があります。
なお、高齢者については、上記の原則をそのまま当てはめると、計算上労働能力喪失期間がまったく認められなかったり、認められてもきわめて短期間となってしまったりする場合がありますが、症状固定時から67歳までの年数が簡易生命表により求めた平均余命年数の2分の1以下となる方については、原則として、平均余命年数の2分の1の期間が労働能力喪失期間となりますのでご注意ください。
イ.労働能力喪失期間が制限される場合
一般に労働能力喪失期間が制限されやすい場合としては、むち打ち症といわれる後遺障害等級12級13号(旧12号)・14級9号(旧10号)のケースが挙げられます。
これらの後遺障害の場合は、通常、前者については5~10年程度に、後者については5年以下に労働能力喪失期間が制限されます。
むち打ち症以外の比較的軽微な後遺障害の場合については、労働能力喪失期間を短期に制限した裁判例もあるものの、一般的にはむち打ち症に比べ長期間の労働能力喪失を認めています。
5.中間利息控除
ア.中間利息とは
逸失利益は被害者の方が将来にわたって得られるはずであった利益です。しかし、将来受け取るべき利益を現時点でそのままの金額で受け取ってしまうと、本来受け取ることができる時点までに発生する利息の分被害者の方が不当な利益を得ることになってしまいます。
そこでこの利息分に対応する金額(=中間利息)を予め差し引いておくために、中間利息控除という作業が行われます。
イ.中間利息控除の方式
中間利息控除の方式には、有名なものとしてライプニッツ方式とホフマン方式があり、両者の違いは、前者が中間利息を複利計算で算定するのに対し、後者は単利計算で算定する点にあります。最高裁は、いずれの方式を採ってもよいとしていますが、現在の実務ではライプニッツ方式を採るのが主流となっています。
ライプニッツ方式での中間利息控除は、労働能力喪失期間に対応するライプニッツ係数を求めた上、これを労働能力喪失率に相当する収入額(喪失収入額)に乗じる方法で行います。
なお、控除される中間利息の利率については、従来争いがありましたが、最高裁により、民事法定利率である年5%の利率に拠るものとされました。ただし、改正民法施行後の令和2年4月1日以後に発生した事故については、民事法定利率は年3%(ただし、3年毎の民法改正による変動あり)に変更となりました。
ウ.中間利息計算の起算点
ライプニッツ係数を求めるのに必要となる被害者の方の労働能力喪失期間は、症状固定時を起算点として算出する例が実務の多数です。したがって、通常の有職者の場合であれば、症状固定時の年齢を67歳から差し引けば、就労可能年数を求めることができます。
症状固定時に満18歳以下の被害者の方のライプニッツ係数については、症状固定時の年齢から67歳までの期間に対応するライプニッツ係数から18歳に達するまでの期間に対応するライプニッツ係数を差し引いて求めます。たとえば症状固定時15歳の被害者の方では、52年:(67歳-15歳)に対応するライプニッツ係数から3年:(18歳-15歳)に対応するライプニッツ係数を差し引いて求めることになります。
令和2年3月31日以前に発生した事故 ライプニッツ係数表(年利5%)
令和2年4月1日以後に発生した事故 ライプニッツ係数表(年利3%)
6.生活費控除
後遺症による逸失利益の場合、死亡による逸失利益を請求する場合と異なり、原則として逸失利益から生活費は控除されません。
裁判例の中には、植物状態等の重度後遺障害者について、健常者よりも日常生活に支出する費用が少ないとして、生活費を控除したものもありますが、現在の裁判例では生活費を控除しないものが多数を占めています。
7.後遺症のある被害者の方が死亡した場合の取扱い
後遺症のある被害者の方が、事故とは別の原因で死亡した場合でも、後遺症による逸失利益の額の算定上、被害者の方の死亡の事実は原則として考慮しないというのが最高裁の見解です。したがって、被害者の方の労働能力喪失期間(就労可能期間)が、死亡時までに限られることはありません。